時間泥棒

ミヒャエルエンデがモモという本を書いている。

モモのあらすじを簡単に説明すると、ある街があって、その街の人たちは幸せに暮らしている。
するとある時、時間銀行を名乗る人がその街に来る。
「無駄に時間を過ごしているなら、勿体無いので、その時間を貯金した方がいいですよ」と言って回るのだ。
なんとなく正しい事を言っている様な気がして、街の人たちは時間銀行に余った時間を貯金するようになる。
すると街の人たちから笑顔がどんどん消えていく。
そこで主人公の少女、モモが時間銀行に乗り込み皆の時間を取り戻しに行く。

というストーリーだ。

小さな頃に読んで今でも凄く印象深く覚えているから我ながら好きなんだと思う。

いい本だ。

 

風俗は短い時間で大きなお金を稼げる仕事だ。

普通の仕事よりも、圧倒的に効率よく稼げる。

これっていわば時間を貯金している様なものだと僕は思っている。

 

モモに置き換えると、時間銀行が正しいのか、モモが正しいのか、それはミヒャエルエンデはモモが正しいかの様に書いている。

そして世間的にはそっちの道徳観の方が、時間銀行的な考え方よりも正しいとされているとは思う。

ただ現実問題、モモ的な生き方よりも時間銀行側の生き方をしてしまっている人が多いだろう。相当強い信念がないとモモ的な生き方は出来ない。

 

時間銀行側で生きている僕みたいな人間からすると、モモなんてきれいごとをいってるだけだとか、それらしい事で簡単に拒絶自体は出来てしまう。

 

しかしどうやら、時間銀行よりもモモの方が素敵らしいぞ、と。少なくとも本を読んでいる最中はモモを応援していた。時間銀行側に肩入れするような読み方はしていなかったように記憶している。

 

後、ミヒャエルエンデってどうやら凄いやつらしいぞと。僕が人生で出会った事がないくらい素晴らしい人間に違いない。だってこんな有名なんだもん。

 

どっちが正しいかは判断できないけど、なんか総合的に見るとモモ側の考え方の方が素敵らしい。人間にはそういうものが必要らしい。
僕にはそういうこじつけ方でしかモモの正しさを受け入れる事が出来ない。

 

 

でもそれでも無理にでも受け入れた方がいいと思う。

時間っていうのは本来貯金するようなものではない。

流れているから時間っていうのは良いもので、貯金してその流れを止めるという行為は、やはり人生にとって健康的な事ではないんだと。

 

 

要するに風俗っていう仕事はやはりどうやら不健康な存在ではあるらしいぞと。
ただ不健康なものが悪いって言いたいのではない。
ラーメンだって不健康だろうし、もっというとクスリだってそういう意味では不健康だろう。特別美味しかったり体に作用したりするようなものは、大抵不健康なものだ。

 

ただ、不健康な存在であるという事を認識したうえで働くというのがとても重要な事だと僕は思っている。

ラーメンで思い出したけど、この前毎日ラーメンを食べ続けていたラーメン評論家の人が死んだというニュースがやっていた。
遺言で「ボクが死んだらラーメンのせいって言われるかもしれないけどラーメンに罪はない」的な事を言っていたらしい。

それでも某掲示板では「ラーメンで死んだ」と滅茶苦茶に叩かれていた。

そりゃあこの本人はラーメン評論家する位好きな訳だから、別に良いんだと思う。
ラーメンが本当に原因じゃないのかもしれないが、恐らくラーメンもその一端はになってしまっているに違いない。

ラーメンに命をかける覚悟があるんだったらって話しだ。

 

同じように風俗に命をかける覚悟まではないのであれば、僕は風俗っていうのはふつうに不健康なものなんですよって感覚でいるのが良いと思う。


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