井原西鶴の好色一代女という本がある。
この本はいい身分だった女が、金と恋に溺れ、欲望のままに生きていく話だ。いい身分だったにも関わらず職業を転々とする。その職業は主に体を売るものが多い。
金と恋に翻弄される女の人生を描いた傑作だ。
昔、好色一代男とセットで読んだ。
【身を落とす】というワードでググったら、一番にきたのがこの好色一代女だった。
やはり、イメージからいって【身を落とす】というのは体を売る行為というのが、いつの時代も想像しやすい事なのだろう。
これはもう抗えない事実としてある。
人は何のために身を落とすのか。
やはり金と恋の為なんだろう。恋という言い方よりも性欲といった方がいいかもしれない。金と性欲が身を落とす切っ掛けになるパターンがいろんな映画みてても身の回りをみてても多い気がする。
何が言いたいかというと、身を落とさずに100万円稼ぐのと、身を落として100万円稼ぐのは、やっぱり違うという事だ。
僕はやっぱり身を落とした場所にいる。
もうこれ以上はなかなか落ちる場所がない。
ここで踏ん張るしかない。
身を落とせば基本的には儲かり易くなる。
僕にはもう落とす場所がないのだから、こっから落ちたら行く場所がない。
正確に言うともっと悪い事とかだったらいくらでもあるかもしれないが、それだったらコンビニでバイトでいい。
デリヘルは犯罪ではないが、どのくらい落ちているかの深度でいうと、そんなに変わらない気がする。
そういう意味でスレスレなところにいるなぁと思っている。
身を落とすと物理的に落ちるのと同じ様に怪我をする場合が多い。
落差が大きければ大きいほど怪我をする。
お金のために強制的に風俗で働かされて自殺する女が出てくる小説をみた事がある。タイトルは忘れた。
その小説を読んで思ったのは、「風俗で働くくらいで辛くて死ぬってバカじゃないの?」だ。
世の中に風俗で働いてる人は沢山いるのに、そんな悲劇のヒロインみたいな気分で自殺するやつなんてろくなもんじゃないだろうと。
でも、その女にとっての落差っていうのは普通の人よりも全然大きいものがあって、そっから落ちたから死んだんだろう。
高いところにいると落ちた時の衝撃が強い。
政治家とかが汚職でダメになって自殺とかする人とかいるけど、あれだって、どんなに悪い状況になったって一般の人よりもいい生活できるだろうに、それでも我慢できなくなって死んでるんだから贅沢といえば贅沢な話だ。
あれも落差があるから悪い。
僕等がラッキーなのは、これ以上落ちようがなかなかないからそこの衝撃で死ぬ事がない。
次のステージまでの落差が全然ない。
バリアフリーばりに緩やかに繋がっている。
ただ僕らの中にはすでに高いところから落ちてきて怪我したまんまの人がたくさんいる。
カイジの鉄骨渡りの第一ステージの方で落ちた人たちみたいなの。
そういう意味では住人になれる事になれれば落差がなくて楽かもしれないが、一回傷を治さないといけない。
その傷を治すための病院、医薬品などはあんまり品ぞろえはよくない場所だ。
傷つけるための武器は沢山売ってるけど…。
自分が、今、総合的にみてどのステージにいるのかは自分でちゃんと自覚した方がいい。
というかその自分のステージを見誤ってる自己評価の高い人間がゲボほど嫌いだ。
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